◇先日面接をした2年生のお迎えコンパ。
3学年およそ50人オーバー参加とかなりの人数。「顔覚えられませんよ」と言ってたが当たり前だよね。覚えようとして覚えるもんじゃなく、自然に頭に入ってくる人間が大事だろうし。そんなもんかと。

◇しかし今回思ったのは会場の問題。
今回は小さい和風居酒屋を貸し切りだったのだがこれが良かった。狭い空間は雰囲気が拡散しない。特に初対面の人間の集まりであればそれぞれのテーブル間に距離があるとなかなか近づきにくいもの。当たり前といえばそうだが改めて『場の力』を実感。

◇しかしいろいろな人間がいた。かなり嬉しい。
ウチの学部ではゼミの選考は通常2回行われる。すなわち2回目は敗者復活戦というわけで。人気のある(これが曲者なのだが)ゼミは選考が1回で終わる。その上20人の枠に50人エントリーとか。もうむちゃくちゃそのもの。
僕のゼミは1回目の選考で定員を満たさなかったため2回目の選考を行った。1回目は全員採用、2回目は倍率1.3倍ほど。このため、よっぽど問題のある人間でなければ通る。で、何が言いたいのかというと、
 
 
●人間の層をバラエティに富むものにするには、
  選んではいけない。
 
 
◇選考
というといかにも公正な、優れた人間が取れるような錯覚がある。組織の色に合わない人間はあらかじめはじくのがその人のためだ、という声もあるだろう。あるいは、「色々な人間がいるように選考をしている」との反論もあろう。
 
◇しかし、だ。
一度に50人も面接をするのは大変な労力である。必然的に一人あたりに時間を割くことができない。となれば結局短い時間でいかにアピールできるかの勝負になる。アピールできない人間は履歴書に目を引く内容がなければ完全に「負け」となる。それはほんの一部の評価でしかない。ヒトは多面体だよ。プリズムなんだよ☆
 
◇「それが社会というものだ」
と言われたらそうかもしれない。しかし、私自身はそうした考えの元で見捨てられた人間が別のところで輝くことがあると思うのだ。それは自分にそうした自覚があるからかもしれない。そしてそうした人間は、意外にしぶとく、粘り強い。そして最後に、
 
 
●「個性的」という言葉ほど
 うさんくさいものはない。
 
 
 
○ぱんだ殿○
よろしくです。
  

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